毒親育ちのヒロユキの日常

毒親育ちのヒロユキの日常を晒す雑記ブログです。

毒親が死んだら嬉しく思うのか

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有益な情報発信は出来ないと思ったので、思考を垂れ流す「ただのブログ」をしばらく書いてみることにした。

 

www.hiroyukipo.com

 

今回は、ときどき考える「毒親が死んだら嬉しく思うのか」ということに関して。

 

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「毒親が死んだら嬉しく思うのか」と、ときどき考える。

現段階での答えは「分からない」である。

というか、不謹慎なことを言うと、どういう感情になるのか楽しみである。

 

とはいえ「死んでほしい」とは思わない。

毒親のことを考える時間が勿体ないというか、別のことに時間を使いたいというか。

とにかく関りたくない。

 

人が死ぬとき、いろいろと動く必要があるだろう。

それを毒親のためにしたくない。

 

 

 

 

ありがたみは感じるのか?

 

「親のありがたみは、死んでからじゃないと分からないよ」

こんな言葉をよく目にする。

 

そうかもしれない。

まだ死んでないし、それは分からない。

 

毒親が死んだあとのことを考えることはある。

「関わらなくてよくなって、快適だなー」しか考えられない。

 

僕は、親のありがたみを感じるのか?

これも、楽しみである。

 

ありがたみと言えば一人暮らし

 

ありがたみと言えば、一人暮らしをすると感じると言われている。

一人暮らしをすれば、僕は親のありがたみを感じるのか、はっきりするのかもしれない。

 

はっきりさせてどうしたいのか、よく分からないが。

 

そういえば、未だに脛を齧らせてもらっていることには感謝している。

というより「感謝するべきなんだろうな」という感じかな。

この点に関して言えば、ありがたみを感じるかもしれない。

 

 

 

それにしても、いい年して、こんなことを考えているなんて恥ずかしい。

ブログに書くのも、本当は抵抗がある。

 

恥ずかしいので、なんとかしたいと思っている。

本当に。