豆乳とホイップクリームで大量に作る、安くて美味しいアイスクリーム
暖かくなってくると、アイスクリームが食べたくなると思う。
しかし、ちょこちょこ市販のものを買うのは出費になる。
そこで、豆乳とホイップクリームで、安くて美味しいアイスクリームを大量に作ってみてはどうだろうか。
材料(6~8食分)
- 豆乳:200ml
- 砂糖:80g
- 卵黄:3個
- ホイップクリーム:200ml
- シナモンパウダー:適量
シナモンパウダーを使うのではなく、出来ればバニラエッセンスのほうが良いと思う。
うちには無かったので、シナモンパウダーを使ったが、悪くなかった。
作り方
- 豆乳と砂糖と卵黄を合わせて、よく混ぜる。
- ザルでこしながら鍋に移して、混ぜながら中火で煮る。
- 少しとろとろしてきたら、氷水で冷やす。
- ホイップクリームを6分立てにして、3と合わせる。
- シナモンパウダーを加えて、冷凍庫で30~40分ほど冷やす。
- 冷凍庫から出して、よく混ぜる。
- 再び冷凍庫で1時間半~2時間ほど冷やす。
遜色のないものが出来る
頻繁に市販のアイスクリームを食べないので比較は難しいが、遜色のないものが出来ると思う。
豆乳とホイップクリームを使ったので「あっさりしてるんだろうなー」と想像していたが、美味しかった。
「濃厚だなーとは思わないが…」という感じ。
「味はともかく大量に食べたい!」という人に、めちゃくちゃおすすめ!
いろいろ素直な感想を書いていると「本当は美味しくないんでしょ?」と思われそうだが、ちゃんと美味しいので、気になったら作ってみてほしい。
自己肯定感を高めるためにやるべきことをりゅうちぇるさんの記事から学んだ
自己肯定感に関する記事を読んだ。
「自己肯定感を高めよう」と思っても、なかなか思うようにいかなくて続かなかった。
結果をすぐ求めず続けていれば良かったのかもしれないと、この記事を読んで思った。
その反省を踏まえながら、りゅうちぇるさんのおすすめの方法を学んで、自己肯定感を高められたらなと思う。
覚えておきたいこと
このりゅうちぇるさんの記事の中から、覚えておきたいことを書き残そうと思う。
コップの水
- コップの水の多さが自己肯定感の高さ
- コップから水が溢れないと他人を愛せない
- コップの水は少しずつしか増えていかない
コップの水を増やすには
- 今日の自分のほうが素敵と思えるように過ごす
- 内面・外面を、少しずつでいいので磨いていく
- 些細なことでいいので心掛ける
内面を磨くには
- 「いただきます」「ごちそうさま」「ありがとう」などを言う
- 笑顔を心掛ける
- 脱いだ靴を揃える
- 愚痴と文句は言わない
外面を磨くには
- 髪のセットを頑張る
- 新しい服装に挑戦する
確かに素敵に過ごせているときは自己肯定感が高まっていた
なぜだか自己肯定感が高まっていると感じられるときがあった。
そのときのことを振り返ると「今日の自分のほうが素敵と思えるように過ごすこと」「内面・外面を、少しずつでいいので磨いていくこと」を自然とやっていたと思う。
1人でも「いただきます」「ごちそうさま」を言うとか、脱いだ靴を揃える、服を脱ぎっぱなしにしないとか。
まさに、りゅうちぇるさんの記事でおすすめされていることをやっていた。
これを書いている今は、こういうことをしなくなっていて、そのころと比べると明らかに自己肯定感が低まっている。
なので、こういうことをすると、確かに自己肯定感が高まっていくのかもしれない。
続けるのが大事だと思う
何事にも言えることかもしれないが、続けるのが大事だと思う。
りゅうちぇるさんの記事で得た一番の教訓は、自己肯定感は少しずつしか高まらないということかもしれない。
自己肯定感と言えば、中田敦彦さんのYouTubeの動画を見て「この方法で自己肯定感を高めたるでー」と思ったことがある。
しかし、1週間と持たなかった。
このころは「自己肯定感なんてすぐ高まるやろ?」と誤解をしていた。
りゅうちぇるさんのおすすめの方法でも、中田さんの動画で紹介されている方法でもいいので、とにかく長く続けること。
そうすれば、自己肯定感を高められるんじゃないかと思った。
塩分を控えたら夜食を止められるのか
数年前の記事だが「塩分を摂り過ぎと過食になる」といったことが書かれているのを見つけた。
塩分の摂り過ぎは、なんか身体に良くないと聞くが、まさか過食になるとは。
ここのところ夜食をしてしまうが、塩分を控えたら止められるのか?
塩分を多く摂るほうが健康になる?
塩分の摂り過ぎは身体に良くないというのが社会通念だろう。
それに反して「塩分を多く摂るほうが健康になる」という見解がある。
なかなか衝撃的なタイトルである。
実際に、このような本のタイトルを鵜呑みにして、塩分を多く摂るようにした。
すると、塩分を多く摂るようになってから、ちょくちょく夜食をしてしまうようになった。
本の中身を読んでいないので分からないが「天然塩」なら良いが「精製塩」なら良くないということなのかもしれない。
多く摂っていたのは精製塩のほうだと思う。
摂る塩分を天然塩に変えればいいのかもしれないが、急には難しいので、塩分を控えてみようと思う。
そうすれば、夜食を止められるかもしれない。
『「減塩」が病気をつくる!』を見てしまったあとだと少し怖いが(笑)。
緩く実験してみる
これから、無理のない範囲で塩分を控えてみようと思う。
食事の量は、食べ過ぎないようにするが、意識して減らすことはしない。
しかし、しょっぱいものの量は減らす。
そんな感じでいく。
今までは、少なくとも週に半分は夜食をしてしまっていた。
それが「塩分を控えるようになってどうなるか」「体重は減っていくか」を見ていこうと思う。
とりあえず2週間は続けようかな。
もうあるじゃん
書きながらぐぐっていたら「減塩ダイエット」なるものを見つけた。
もうあるじゃん。
ここにも「塩分の摂り過ぎは食べ過ぎの原因になる」といったことが書かれている。
まあ、夜食を止められるかというのは、今までにない視点かもしれないので気にしない。
それと一緒に「減塩ダイエットは寿命を縮める」という記事を見つけた。
なにが正しいんだよ…。
とりあえず2週間は塩分を控えよう。
それで良い感じだったら、どうしようかな。
それと同時に「塩分を多く摂るほうが健康になる」という見解の本に目を通そう。
緩い実験と、今後の塩分との付き合い方を報告できたらと思う。
行儀が悪いとかどうでもいいので、これから音楽を聴きながら食事する
毒親と食事するときはね。
というのも、僕は「ミソフォニア」かもしれない。
知らない人のためにWikipediaから引用すると
ミソフォニア(英語:Misophonia, literally "hatred of sound")、音嫌悪症または音恐怖症とは、まれに診断される医学的な障害である。原因は神経学的だと思われ、特定の音に対して否定的な感情(怒り、逃避反応、憎しみ、嫌悪)が起こされる。小さい音も大きい音もある。ミソフォニアの名前はアメリカ人の神経学者Pawel JastreboffとMargaret Jastreboffに作り出され、「selective sound sensitivity syndrome」(選択的音感受性症候群)とも呼ばれる。
引用:
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%82%BD%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%8B%E3%82%A2
こんな病気である。
特に僕が嫌うのは、食事のくちゃくちゃの音である。
あと、鼻を啜る音が少し。
毒父のくちゃくちゃは我慢するのが難しい
そのへんに居る人のくちゃくちゃだと、イライラするが我慢できる。
しかし、毒父のくちゃくちゃは我慢するのが難しい。
毒父がくちゃくちゃしだすと、身体が緊張して、目と耳の感覚が鋭くなる。
今まで気にならなかった光と音を「まぶしい」「うるさい」と感じるようになる。
あと、調子の悪いときは必ず頭痛になる。
ぶち○したくなる。
持っているものを投げたくなる。
なぜだか、そのへんに居る人のくちゃくちゃだと、ここまでならない。
信じられないほど嫌にくちゃくちゃする人が居たら、どうなるか分からないが。
どう対処するのがいいのか
毒父は食事の時間がばらばらなので、一緒に食事するときと、そうでないときがある。
今まで一緒に食事するときは、くちゃくちゃを我慢しながら普通に食べるか、早く食べて食事をすぐ終わらせていた。
我慢するのは非常にストレスになる。
最悪だと頭痛になる。
早く食べるのは体に良くないと聞くし、実際に食べ過ぎ・便秘の原因になっていると思う。
早く食べるより、途中で食事を止めるほうが、食べる量を減らせるのでいいかもしれない。
しかし、この方法だと、中途半端に残したものの始末が面倒になるだろう。
だとすると、行儀は悪いが、音楽を聴きながら食事するのがいいかもしれない。
行儀が悪いとかどうでもいい
今までは行儀が悪いので、音楽を聴こうと思わなかった。
しかし、最悪だと頭痛になるんだったら、行儀が悪いとかどうでも良くないか?
しかも、行儀が悪いと思われるのは毒家族からである。
どうでもいい。
もしかしたら、音楽を聴かないと食事が出来ない身体になってしまうとか、あるかもしれない。
そうなったら困るが、ないだろう。
これから毒父と食事するときは、音楽を聴きながら食事しようと思う。
くちゃくちゃを我慢して体調を悪くするより、行儀が悪いほうがいい。
耳栓のことは忘れていない。
「音は小さく出来るが、聞こえてくる」とのこと。
とはいえ、外で音楽を聴きながら食事するのは抵抗がある。
今は滅多に外食しないが、することが増えたら検討する価値はあるだろう。
タバコを外で吸ってくれるのは有り難いが、蚊を入れないようにしてほしい
まだ4月だというのに蚊に刺された。
これから増えてくるのかと思うと憂鬱になる。
多いときは1日に4~5匹とか始末してきた。
蚊にはうんざりしているので、いろいろと思うところを書いていこうと思う。
「そのくらいでぶーぶー言うなよ」という人が居たら、このくらいでぶーぶー言ってすみません。
タバコを外で吸うときに蚊を入れている
毒家族がタバコを吸うので、外で吸うときに蚊を入れていると思う。
勿論「全てタバコのせい」とは思っていないが。
タバコはベランダで吸っているが、夜は必ずベランダに出るところを明るくしていく。
蚊は光に集まる性質があるようなので、タバコを吸っている間に集まってきて、家の中に戻るときに入ってくるんじゃないかと。
なので、明るくしないだけでも、蚊が入ってくるのを減らせるんじゃないかなと思う。
1日に4~5匹とか始末しなくて良くなるかもしれない。
一人暮らしをすれば蚊に悩まされなくなる?
とはいえ、明るくしないだけで、抜群に効果があるとは思えない。
蚊は、吐いた息に含まれる二酸化炭素とか、体温とか体臭とか、そういったものに集まる性質もあるらしい。
なので、明るくしないことで少しは減らせるかもしれないが、入ってくることは変わらないだろう。
そもそも「明るくしないで」と頼んだところで、聞いてくれるとは思えない。
1日に4~5匹の蚊を始末してきた生活は、このままずっと変わらない。
タバコを吸うときの出入りのせいでこんなに蚊を見るのだとしたら、一人暮らしをすれば蚊に悩まされなくなるのかもしれない。
勿論、一人暮らしをしても見ることはあるだろうが、4~5匹とか見なくなるだろう。
一人暮らしをすればタバコの臭いに悩まされなくなる?
家の中で吸っていたこともあるんだけど、外で吸ってくれるようになって、タバコの臭いに悩まされることは少なくなった。
しかし、なくなりはしない。
・ 「窓を開けていると、タバコの臭いが入ってくる…」
・ 「タバコを吸ってすぐトイレを使うので、しばらく臭くて使えない…」
・ 「干している布団の横でタバコを吸わないでほしい…」
一人暮らしをすれば、このあたりで悩まされなくなるだろう。
蚊に悩まされることは減るし、タバコの臭いに悩まされなくなる。
一人暮らしは良いことが多い。
あれ?
隣人がヘビースモーカーだったら?
まあ、いいか。
そのときはそのときだし、それでも毒家族と住んでいるよりましだろう。
毒親が死んだら嬉しく思うのか
有益な情報発信は出来ないと思ったので、思考を垂れ流す「ただのブログ」をしばらく書いてみることにした。
今回は、ときどき考える「毒親が死んだら嬉しく思うのか」ということに関して。
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「毒親が死んだら嬉しく思うのか」と、ときどき考える。
現段階での答えは「分からない」である。
というか、不謹慎なことを言うと、どういう感情になるのか楽しみである。
とはいえ「死んでほしい」とは思わない。
毒親のことを考える時間が勿体ないというか、別のことに時間を使いたいというか。
とにかく関りたくない。
人が死ぬとき、いろいろと動く必要があるだろう。
それを毒親のためにしたくない。
ありがたみは感じるのか?
「親のありがたみは、死んでからじゃないと分からないよ」
こんな言葉をよく目にする。
そうかもしれない。
まだ死んでないし、それは分からない。
毒親が死んだあとのことを考えることはある。
「関わらなくてよくなって、快適だなー」しか考えられない。
僕は、親のありがたみを感じるのか?
これも、楽しみである。
ありがたみと言えば一人暮らし
ありがたみと言えば、一人暮らしをすると感じると言われている。
一人暮らしをすれば、僕は親のありがたみを感じるのか、はっきりするのかもしれない。
はっきりさせてどうしたいのか、よく分からないが。
そういえば、未だに脛を齧らせてもらっていることには感謝している。
というより「感謝するべきなんだろうな」という感じかな。
この点に関して言えば、ありがたみを感じるかもしれない。
それにしても、いい年して、こんなことを考えているなんて恥ずかしい。
ブログに書くのも、本当は抵抗がある。
恥ずかしいので、なんとかしたいと思っている。
本当に。
有益な情報発信が出来ないと思ったら「ただのブログ」を書くしかなくない?
ブログの方向性に困っている。
少しでもお小遣いを稼ぎたいと思ってはじめたブログだが、書くべきことが分からない。
読まれるブログを運営するには、有益な情報発信をしなければならない。
しかし、ノースキルな今の僕には難しい。
大学院まで進ませて貰って、鬱病になって、引き籠って、今はフリーターをしている。
そんな僕に、読まれるブログを作れるのだろうか?
アニメの感想はどうだろう?
アニメの感想はどうだろう?
アニメは好きなので、継続して書けるかもしれない。
しかし、すぐに止めた。
正確には、新しくはじまるアニメの第1話を観て、おすすめを記事にして、それで止めた。
理由の1つとしては、全く読まれなかったことである。
数日で判断するのは、冷静さを欠いているかもしれないが。
もう1つは「アニメに特化したブログは稼げない」という記事を幾つも読んだことである。
そして「稼げないのなら止めておこう」と思った。
「稼げないのなら止めておこう」
「どのジャンルが稼げるんだろう?」
「それでいいのか?」
「どうするべき?」
分からなくなってきた。
書くべきことは?
出来ればブログでお小遣いを稼ぎたい。
しかし、それは難しいことだと分かった。
ノースキルで大した経験なんてしてきていない。
そんな僕に、有益な情報発信なんて出来ない。
「そのジャンルは稼げないよ」
そんなことを気にしていていいのか?
・ 「これを伝えたい」と思っていることは?
・ 書いていて楽しいことは?
気にするべきなのは、こういうことなんじゃないの?
しかし、伝えたいこと?
楽しいこと?
自分でも分からない。
「ただのブログ」を書くしかなくない?
有益なことを書かなきゃと思ってきたが、難しかった。
筆を進めるのが苦しかった。
こんな心境でぐぐっていたら、中村英里さんのnoteに行き当たった。
「情報発信って、疲れませんか?」
こんな文章からはじまる。
確かに疲れてしまった。
難しくて苦しくて疲れてしまった。
数年前のnoteだが、中村さんは
・ 発信を気軽に出来ない風潮を感じる
・ 思考を垂れ流す「ただのブログ」を書こうよ
こんなことを書かれている。
分かる。
分かるけど「ただのブログ」なんて書いていいの?
あれ?
「思考を垂れ流しちゃ駄目」なんて誰に言われてきたんだ?
誰の目を気にしてきたんだ?
「ただのブログ」なら文章を書くのが苦しくなくなるかもしれない。
・ 「これを伝えたい」と思っていることは?
・ 書いていて楽しいことは?
この答えが分かるかもしれない。
しばらくは「ただのブログ」を書くのがいいかもしれない。
徳力基彦さんの一連のnoteにも、同じようなことが書かれていた。
ブログを「自分のためのメモ」として書くのを勧めている。
この方法でも、文章を書くのが苦しくなくなると思った。
しっかり読めていないので、読んだらまた記事にするかもしれない。